歩くふゆ

きりりとした冬の空気のなか、ゆっくりと散歩をする。ただ歩くというだけで、目的のない散歩に出かけるのは、究極の贅沢かもしれません。はじめは寒さにちぢこまっていた体も、陽だまりを求めて歩いていると、自然とほぐれていく。そんな時、ふいに見かけた光景や鳥の鳴き声、すれ違う子ども、まるで人のような樹々の立ち姿、足元に落ちているものと出逢います。それらは身近なものにも関わらず、まるではじめて出逢ったかのように、こころの深部を照らしてくれるのです。

漫画家谷口ジローさんの作品に『歩くひと』という作品があります。中年男性が、自分が住む街をただ散歩する。というだけの内容なのですが、すばらしく胸を打たれます。そこで『歩くひと』に倣って、東京にある井の頭公園を散歩してみることにしました。

 

水のカタチ

季節に関係なく水辺は人を吸い寄せる力があって、寒い北風が吹くこの日も公園内の水辺に腰をかけて文庫本を読むおじいさんを見かける。ふと、湖に目をやると、風で波紋ができている。それによって、水面に映り込む木立が抽象絵画のような姿になっている。そこへ、一匹のカモがすいいと横切り、すると今度はカモの体から伸びた帯状の水紋が長く伸びていく。少し楽しくなり、文庫本を読むおじいさんの横のベンチに腰をかけ、さまざまに変化する水のカタチを観察してみる。小さな魚が飛び跳ねたのだろうか、今度は丸く同心円状に波紋が広がる。少し離れたところでゆっくりと漂うカモが、向きを変えるために足蹴りして、また丸く同心円状が広がり、水のカタチは重なりそして静まっていく。

 

鳥の性格

昔、ニューヨークの五番街で見たスズメが日本のスズメとは随分と気性が違うことに驚いたことがある。日本でスズメといえば、どことなく穏やかで可愛らしい印象だったのだが、ニューヨークのスズメは力強くて少し獰猛な感じさえした。道端に落ちたパン屑を奪い合っていた。同じ鳥だとしても、住む場所で性格が違うものなのだな、とその時に思った。井の頭公園を歩いていると、カモや鳩のみならず様々な種類の鳥がこの公園に住んでいることに気付く。公園内のカフェでテイクアウトしたホットコーヒーを大きな石に腰掛けて飲んでいると、ふと、足元に一匹の鳩がいた。じりりと近づいてみても逃げる素振りも見せない。かと言って、観光地の人馴れした鳩のように食べ物のおこぼれを期待しているような素振りもない。その様子は、人に対して友好的にさえ思えた。考えてみれば、犬や猫にもそれぞれの性格があるように、鳥にも性格があるのだろう。人と鳥は普段それを知ることができない遠さに暮らしている。でもこうやって身近な自然を散歩するだけで、少し知ることができる。

 

陽だまりの雪

今年は東京にも雪が降るだろうか。散歩をしながら、ふとそんなことを考えていた。すると、陽だまりの光のなかに雪のようなものを見つけた。近づいてみると、ヤツデの白い花だった。ヤツデは身近にある花だけど、今日はこんなにも印象深い。漫画『歩くひと』の主人公のようにメガネを外してみると、(彼は少年にボールをぶつけられてメガネが割れてしまったのだけど)近眼の私には大きな牡丹雪が降っているかのように見えた。たしかに、冬は「冬枯れ」という言葉があるように、どこか景色自体がもの哀しい。緑葉を落とし弱々しい枝をあらわにした樹々を眺めていると、もの哀しい以外の言葉が見当たらない。けれど、吉田兼好が『徒然草』で四季の移り変わりをしたためた段に「冬枯れの景色こそ、秋にはをさをさ劣るまじけれ」と書いたように、少し視点を変えて想像力を使えば、他の季節に劣らない愉しさを見つけることができる。ヤツデの花言葉をスマートフォンで調べてみると「健康」。冬のこんな寒い時期に開花するからだろうか。なんだか散歩と健康が妙に重なって、くすりと笑ってしまった。

構成 /文 / 写真  山根晋
2024年1月