Imperfect を見つけて

2025年の新作「Sghr Imperfect」は、ガラスを成形する際に通常であれば取り除くガラスのタネ(溶けたガラス)の個性を、敢えて採用することで一期一会の表情をシンプルなグラスとして製品化しています。今回の Sghr magazine では、一見、不完全(Imperfect)でもだからこそ美しいと感じるモノやコトを綴ります。

朝起きて水を飲もうとキッチンに行くと、思わず見入ってしまうような光の造形が壁に伸びている。まだ低い陽光が部屋に流れ込み、キッチンの蛇口や金物、その周りにあるペットボトルなどに反射しているようだけど、触れたり動かしたりしてみても光に変化は起きない。ダイニングテーブルに腰掛けて、しばし水を飲みながらその様子を眺める。まるで抽象画を鑑賞するように、何がどうなっているのかを辿ってみるのも愉しい。陽が昇るにつれて、だんだんと薄くなってくる。ふと、テーブルの上にあるガラスの花瓶を動かすと、その光の造形はさっとどこかに消えてしまった。

見慣れた街の見慣れた路地を歩く。見慣れたと言えど、突然家が無くなったり、突然そそり立つ壁のある家が建ったり、見慣れた景色がある日がらりと変わると、自分が今どこにいるのかおぼつかなくなる。きっと体に染み付いているだろう記憶のなかの景色はいったいどこへ行ったのだろうかと不思議な心地がする。そうして徐々に街並みが新しくなるなか、反対に古い家はひときわその存在感を放つ。確かに、経年と老朽には抗えないけれど、そこに住む人の生活に対する美意識は細部に宿り、それが折々に重ねてきた時間すらも醸し出している。街のなか、やわらかく光る灯りのようだとも思う。

寄せては返す波。人が想像できる時間を遥かに超えて、この星が生きているリズムがそこにある。静かな浜辺では考えごとをするのではなく、考えごと自体をやめて“ただそこにいる”のが適している。そんな時、考えもしなかったような考えが浮かんできたりして、つくづく人は考えてしまう生き物なのかもしれない。そうして2、30分を過ごして帰ろうと後ろを振り返ると、いくつもの波の痕跡と、さっきまで私がうろうろ歩いていた痕跡が残されていた。そのカタチは違えど、何かの余韻が遠さに向かって響いていた。

構成 /文 / 写真  山根晋
2025年5月